今日の担当は裕美先生。
すっかり元気になりました。
おでかけリトミックには、いろんな子がやってきます。
おとなしくて、お母さんのおひざに入ってじっと見つめている子もいます。
けれど、おとなしい子にはおとなしい子の表現が必ずあります。
おひざから覗く世界に、瞳を輝かせています。
耳には音楽が心地よく響いています。
心には、芸術の種が芽生えています。
時には機嫌の悪いこともあるでしょう。
悲しいこともあるでしょう。
いつもいつも、ママの思い描いていた通りに、楽しくニコニコで参加するとは限らないのです。
それは人間だから。
喜怒哀楽がないと芸術は生まれません。
音楽も生きてきません。
どんなに表現が静かな子も、「何も感じていない」ってことはないのです。
心に生まれた小さな灯火を、ママが見つけることができるかどうか、それだけです。
子どもに芽生える感動や感情を、大人の身勝手な押しつけで踏みにじって無視し続けると、いつか、子どもたちは、「自分の感情なんか無くてもいいんだ。無駄なものなんだ。」と思い、感じることをやめてしまうでしょう。
周りの大人が、「尊重してあげるかどうか。」、それが、感受性を育てる大きな鍵だと思います。
すっかり元気になりました。
おでかけリトミックには、いろんな子がやってきます。
おとなしくて、お母さんのおひざに入ってじっと見つめている子もいます。
けれど、おとなしい子にはおとなしい子の表現が必ずあります。
おひざから覗く世界に、瞳を輝かせています。
耳には音楽が心地よく響いています。
心には、芸術の種が芽生えています。
時には機嫌の悪いこともあるでしょう。
悲しいこともあるでしょう。
いつもいつも、ママの思い描いていた通りに、楽しくニコニコで参加するとは限らないのです。
それは人間だから。
喜怒哀楽がないと芸術は生まれません。
音楽も生きてきません。
どんなに表現が静かな子も、「何も感じていない」ってことはないのです。
心に生まれた小さな灯火を、ママが見つけることができるかどうか、それだけです。
子どもに芽生える感動や感情を、大人の身勝手な押しつけで踏みにじって無視し続けると、いつか、子どもたちは、「自分の感情なんか無くてもいいんだ。無駄なものなんだ。」と思い、感じることをやめてしまうでしょう。
周りの大人が、「尊重してあげるかどうか。」、それが、感受性を育てる大きな鍵だと思います。