ある公共施設での一場面です。
泣きわめいている子がいます。
ピアノの音も、先生の歌声も、絵本を読む声もかき消すくらい、大声で、顔を真っ赤にして、手足をバタバタさせて、暴れています。
周りのお母さんはとっても迷惑そう。
「どうして、あんな子を連れてきたのかしら。」
「泣き止ませられないの?母親のくせに。」
お母さんは、なんとかなだめようとはしているのですが、どうやら、何故泣いているのか、分からない様子。
困った顔で抱っこしたり、「シー。」と口に手を当てたりしていましたが、ひっくり返って床を転がって、泣きわめきは続いています。
あぁ、うるさい。
お母さんは、イライラした様子で、ひっくり返った子どもの手をぐいっと引っ張ります。
虐待のような、乱暴な引っ張り方に、周りのお母さんはギョッとして、でも、見て見ぬふり。
先生も、「あんな子、迷惑だから出て行って欲しいわ。」と思っていることでしょう。
「来るんじゃなかった。
あんなに楽しみに、昨日から準備をして来たのに!
この子は、ちっとも私の思いが分かってない。
私だって、ニコニコと、子どもと一緒に楽しく参加したかった。
イライラと手を引っ張る姿なんか見せたくなかった。
どうして、私だけ・・・。
他の子はみんな楽しそうにおりこうに、みんなと同じことができるのに!」
これは、いつの、おさんぽリトミックのお話だと思いますか?
いいえ、おさんぽリトミックではありません。
これは、私たち講師が、10年以上前に、自分の子どもを連れて行った先で体験したことです。
だからこそ、同じような場面を目にすると、お母さんの気持ちが分かり、胸が痛みます。
イライラした様子でぐいっと我が子を引っ張るお母さんを見て、「叩かなかっただけ偉かったよと、許してあげたい。」という気持ちでいっぱいになります。
10年前は、自分ひとりだけが何故こんな目に、って思っていました。
ひどい母親だと思われただろうな、と思って、泣きながら、怒鳴りながら、車を運転して帰ったのです。
そうして、泣きつかれて寝てしまった子の寝顔を見て、「なんで、もっと穏やかな気持ちでいられなかったんだろう。ごめんね、ごめんね。」と、涙を流して反省するのです。
今、講師の立場で言えることがあります。
お母さん、ひとりじゃないよ。
どの会場の、どの時間帯にも、泣きわめく子はいるよ。
たまたま、ご機嫌が悪かったのかもしれない、体調がすぐれなかったのかもしれない、なんとなく気分が乗らなかったのかもしれない、温度が不快だったのかもしれない、お腹が空いていたのかもしれない。
たまたまですよ。
みんな、楽しみに来ているのだから、参加できなくてイライラするんですよ。
きっと、来週は大丈夫。
だから、今日は気持ちを切り替えて、「ここまで来ただけで、満点だった。」と、自分もお子さんも許してあげましょう。
お部屋の外へ出て、おうちとは違う景色を眺めましょう。
扉の外から、静かに漏れ聞こえる、他のお子さんの歓声とピアノの音を楽しんで、それで良しとしましょう。
けっして、「邪魔だから出ていけ。」と言っているのではないのです。
10年経ってようやく分かるのですよ、これから続く、3650日の中の、たったの一日の、たったの40分だということが。
10年経ったら、抱っこして歩くこともできないのですよ。
泣いている子を、自分の手で抱きしめることも。
15才になった子は、もう、自分の足で立って、自分の手で涙を拭って、親の前では何事もなかったように振る舞います。
気づかないふりで、背中を見送ることしかできないのですよ。
抱っこして、お部屋の外で、「今日はリトミック、できなかったねぇ。また来ようね。」って、一緒に泣いて、約束しましょうよ。
そうして明日を迎えられたら、それで充分です。
泣きわめいている子がいます。
ピアノの音も、先生の歌声も、絵本を読む声もかき消すくらい、大声で、顔を真っ赤にして、手足をバタバタさせて、暴れています。
周りのお母さんはとっても迷惑そう。
「どうして、あんな子を連れてきたのかしら。」
「泣き止ませられないの?母親のくせに。」
お母さんは、なんとかなだめようとはしているのですが、どうやら、何故泣いているのか、分からない様子。
困った顔で抱っこしたり、「シー。」と口に手を当てたりしていましたが、ひっくり返って床を転がって、泣きわめきは続いています。
あぁ、うるさい。
お母さんは、イライラした様子で、ひっくり返った子どもの手をぐいっと引っ張ります。
虐待のような、乱暴な引っ張り方に、周りのお母さんはギョッとして、でも、見て見ぬふり。
先生も、「あんな子、迷惑だから出て行って欲しいわ。」と思っていることでしょう。
「来るんじゃなかった。
あんなに楽しみに、昨日から準備をして来たのに!
この子は、ちっとも私の思いが分かってない。
私だって、ニコニコと、子どもと一緒に楽しく参加したかった。
イライラと手を引っ張る姿なんか見せたくなかった。
どうして、私だけ・・・。
他の子はみんな楽しそうにおりこうに、みんなと同じことができるのに!」
これは、いつの、おさんぽリトミックのお話だと思いますか?
いいえ、おさんぽリトミックではありません。
これは、私たち講師が、10年以上前に、自分の子どもを連れて行った先で体験したことです。
だからこそ、同じような場面を目にすると、お母さんの気持ちが分かり、胸が痛みます。
イライラした様子でぐいっと我が子を引っ張るお母さんを見て、「叩かなかっただけ偉かったよと、許してあげたい。」という気持ちでいっぱいになります。
10年前は、自分ひとりだけが何故こんな目に、って思っていました。
ひどい母親だと思われただろうな、と思って、泣きながら、怒鳴りながら、車を運転して帰ったのです。
そうして、泣きつかれて寝てしまった子の寝顔を見て、「なんで、もっと穏やかな気持ちでいられなかったんだろう。ごめんね、ごめんね。」と、涙を流して反省するのです。
今、講師の立場で言えることがあります。
お母さん、ひとりじゃないよ。
どの会場の、どの時間帯にも、泣きわめく子はいるよ。
たまたま、ご機嫌が悪かったのかもしれない、体調がすぐれなかったのかもしれない、なんとなく気分が乗らなかったのかもしれない、温度が不快だったのかもしれない、お腹が空いていたのかもしれない。
たまたまですよ。
みんな、楽しみに来ているのだから、参加できなくてイライラするんですよ。
きっと、来週は大丈夫。
だから、今日は気持ちを切り替えて、「ここまで来ただけで、満点だった。」と、自分もお子さんも許してあげましょう。
お部屋の外へ出て、おうちとは違う景色を眺めましょう。
扉の外から、静かに漏れ聞こえる、他のお子さんの歓声とピアノの音を楽しんで、それで良しとしましょう。
けっして、「邪魔だから出ていけ。」と言っているのではないのです。
10年経ってようやく分かるのですよ、これから続く、3650日の中の、たったの一日の、たったの40分だということが。
10年経ったら、抱っこして歩くこともできないのですよ。
泣いている子を、自分の手で抱きしめることも。
15才になった子は、もう、自分の足で立って、自分の手で涙を拭って、親の前では何事もなかったように振る舞います。
気づかないふりで、背中を見送ることしかできないのですよ。
抱っこして、お部屋の外で、「今日はリトミック、できなかったねぇ。また来ようね。」って、一緒に泣いて、約束しましょうよ。
そうして明日を迎えられたら、それで充分です。
せつない毎日でしょうね。
私の子はもう、自分の背をとっくに越した中学生。
触りたい放題、抱っこし放題の子を見ると、本当にうらやましいです。なのに、あの頃、「抱っこ〜!抱っこ〜〜!!」と手を差し伸べてくるありがたさを充分に感じることができませんでした。
ぜひ、思う存分、抱っこして触って過ごしてください。